弓道を始めたい方へ向けた弓道情報サイト
当サイトは日本の伝統的な武芸「弓道」の歴史・上達方法・道具解説といった様々な面を紹介することを目的としています。これから弓道を始めたいと思っている方は「弓道ってどんなことするの?」ということから丁寧に解説させていただいていますので是非参考にしてみてください。
弓道とは
弓道ってそもそも何なの?弓を引いて矢を放つ競技であることは何となくわかっていても具体的にどんなルールでどうなれば勝ちで何を判定基準としているかなどわからないことも多いと思います。弓道とは何なのか?ということを改めて解説しておきたいと思います。
弓道とは
弓道というのは和弓を使って矢を的に中てることを目的とした競技です。同じように弓を使って的を狙う競技にアーチェリーがありますが、弓道とアーチェリーは似て非なるものです。【詳細記事:弓道とアーチェリーの違い】
競技といっても相手がいなくてはできないテニスや卓球スポーツと違って、競争相手がいなくても1人でも楽しむことができるのが弓道の良いところです。
精神の修行でもある武芸
弓道は精神の鍛錬という側面も持っています。精神を集中させ姿勢を保持し、己の知識と経験から生まれる一射で的中を狙う。当たらなければ反省し原因を求め前に進むためさらに努力する。人生を強く生き抜くための精神力を鍛えることができるのも弓道が愛される理由です
弓道の特徴
弓道の弓には昇順を合わせるための補助具などは一切ついていません。己のカンと技量、経験が全てとなります。その為心の動揺や邪念が射術を狂わせてしまう原因にもなります。正確な的中を生むには邪念や動揺を介入させない「メンタルコントロール」が必要不可欠になってきます。【関連記事:弓道における精神面対策】
弓道の勝敗はどうやって決まる?
28m離れた距離の的を狙う近的競技と、60m離れた的を狙う遠的競技があります。またよく「真ん中にあてたら得点が高い」と勘違いされますが、弓道に得点はありません。弓道は的中制ですのでアタリかハズレしかなく、勝敗は得点ではなく的中率で決まります。中るか抜くか。それが全てです。
的中率で決まる勝敗
公式試合においては1試合4本の矢を持ち駒として、そのうち何射中る(あたる)かを競うことになります。
使用する的によっても勝敗の決め方が変わってきます。詳しくは【弓道の的の種類】で解説しています。
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弓道の歴史|明治維新前後
幕末から明治にかけて戦闘の手段としての弓術は衰退していきました。幕末から明治になりそれまでの江戸時代の制度が崩壊し、西洋の火力に富んだ最新兵器が導入されるようになった為です。
明治維新(1968年)前後の弓道
ただ確かに明治維新以前は弓を引くこと自体に一定の制限すらありましたが、維新により緩和されてからは一般人の間でも弓を引く人が増え、遊戯化・娯楽化が進んでいきました。
戦闘の手段としての弓術は衰退していきましたが、歓楽街における賭弓場の多くは風俗営業を行うことで大盛況したそうです。(明治政府から規制を加えられるほどだったらしい)
ただ盛況しすぎてもはや庶民の間では弓=賭弓場のイメージが出来上がってしまいました。その影響下で弓術古来からの伝統を引き継ぐ弓射文化が衰退していき、弓術道場が次から次へと姿を消していくことになったのです。
ただそれでも日本古来の伝統的な弓道を守ろうとする熱心な弓術家がいたため弓術文化は無くならずに済んでいたのです。
1862年
幕府における「弓術上覧の儀」が廃止され、講武所の教科科目からも弓術が除外される。
1867年
大政奉還により幕藩体制・武家社会の崩壊が始まると共に、古来からの弓術は衰退を始める。地方ではまだ教育が行われていた。
1871年
廃藩置県により地方や藩での弓術教育も廃止されることになる。
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弓道の歴史|明治中期
明治維新前後で急速な衰退を見せた弓術含む武術ですが、明治中期になると再燃しました。その背景としては
- 初等教育の開始
- 徴兵制度の開始
- 日清戦争の勝利
などの社会・政治的な要因があります。ようは国策の1つとして武術が推奨されはじめたのです。
1895年
京都在住の有識者により各種武術を統括する団体として「大日本武徳会」が設立される。
1919年
武術専門学校を武道専門学校と改称する。この時期に「弓術」が「弓道」と改称されることになる。
中期には弓道文化が盛り返しを見せました。ただ変化した点が1つ。弓術といえば賭弓場であった弓術衰退期の「中りさえすればいい」という考え方は廃れ、「射形が崩れなければ中ればいい」という精神や礼節を重んじる考え方にシフトしていきました。この考え方・気風の変化が弓道をさらに庶民の間に広めるきっかけとなったのです。
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